sololá 《霧のコミューン》



霧の宣言

Commune of the Mist

《霧のコミューン》の機関誌名であり、 同志の人々の柔らかにつながった集合意思の結節点となるサイト sololá(ソロラ)。 これはマヤ語で「水へと還る」を意味する美しい言葉です。

形あるものが君臨する時代に、枠づけられた形を放擲し、 境界のない、不定形の水のような流動体へと還ること。 しかも水は、 雨にも霧に霞にも露にも瞬時に変容するおどろくべき可変体でもあります。

《霧のコミューン》はこの「sololá」を合言葉に、 現代社会の混迷をのりこえ、霧に潜み、霧につつまれ、 霧のなかで発光する人々のあらたな「共感覚」によって、 より覚醒した世界を創造してゆくための、 緩やかに結ばれた精神共同体をめざしています。 霧は万葉の時代から「息嘯(おきそ)」であるとも喩えられました。 「息嘯」すなわち「嘆きの息」 が霧となって風に流れるさまを山上憶良はこう歌っていました。

大野山 霧たちわたる 我が嘆く 息嘯の風に 霧たちわたる(巻五・七九九)

霧とはこの深い悲嘆のため息のこと。 けれどその聖なる息につつまれた時、 深い悲嘆ののちの、柔らかな霧による慰謝の愛撫、 そして小さな世直しの決意をさえ私たちは感じます。

一方、マヤ族の伝説では「ソロラ」には「水へと還る」と同時に 「ニワトコの水」という意味もありました。 水辺の林縁などに生えるニワトコ(接骨木)は先住民の聖なる植物であり、 解熱・鎮痛・消炎作用をもった薬草としても利用されました。

古代マヤの伝説はこう語ります。

ニワトコの吹矢の射手は、その奥底に砂があり、 砂の上に泥があり、泥の上に深い水があり、 深い水の上に静かな水があり、静かな水の上に緑の水があり、 緑の水の上に青い水があり、青い水の上に太陽の水があり、 太陽の水の上に空の水がある「巨人たちのトランク」から出てきた......。 (M・A・アストゥリアス『グアテマラ伝説集』岩波文庫)

そしてこの「ニワトコの吹矢の射手」 は霧のなかに棲息するハチドリとも繋がっています。

ニワトコの吹矢の射手は、密と露で身を養っているあの小さな小鳥たち、 赤の、緑の、青の、黄の、紫の、黒の小鳥たちに、 道々それを吹きかけようと、口を泡だらけにして、 「巨人たちのトランク」から出てきた......。(同)

《霧のコミューン》は、 水のやわらかい可変性をめぐる無数の神話的想像力と結ばれながら、 この世界に真の自由と幸福をもたらすための共同体を探究する拠点にして、 あらたな学舎です。

Ryuta Imafuku