真木悠介はここ(丶丶)にいない

 今日からちょうど100年前、 1923年の4月8日の「岩手毎日新聞」に、 ほとんど誰も知らない一人の作者が書いた一篇の童話が掲載されました。 子供の蟹の兄弟が青白い水の底で交わす一見他愛のないお喋り、 でもどこか死の影をまとった、「やまなし」という不思議なお話でした。

「クラムボンは笑ったよ」 「クラムボンはかぷかぷわらったよ」 「クラムボンは死んだよ」

 クラムボンという、生物なのか自然現象なのかも定かでない、謎の言葉。 生と死のほんとうの意味をいまだ知らない子蟹たちが、 そのリアルな予感にうち震えるとき、実体のないクラムボンという名が、 生き物でもなく、比喩でもなく、「語りえないもの」への畏れとして、 そこで示されます。

 「ここ」にはいないものとして。永遠に未完のものとして。 生と死をめぐる夢として。たどりつけないユートピアとして。

 ぴったり100年前に書かれたこの物語の書き出しを真似て、 私はこれから、言葉の底にある見えない風景を映した、 三枚の「青い幻燈」をみなさんにお見せしようと思います。

マグノリア(青い幻燈 I)

 「拝啓。透き通った青空に、 マグノリアの白い花が美しく映える季節になりました。 いかがお過ごしですか」

 こんなふうに書き始められるかもしれない手紙を、 いま誰に宛てて投函したらいいのでしょう? どこに向けて?

 ちぢれた亜鉛色の雲の彼方へ。  酵母のようなおぼろな(なご)り雪へ。  電信柱の陰に潜むインディゴの闇へ。  霧に濡れた林と思想の辺土へ。  いるべき人がそこにいない場所。  いるはずもない影だけが佇んでいる場所。  いてほしいと願うだけではかなわない場所。  いないという奇蹟だけがそこにある場所……。

 マグノリアの花、この列島ではコブシとも呼ばれる花。

 きのう岩手の山から送られてきて、今日、 あなたというスピリットへの秘密の信号のようにしてこの壇上に置いた、 そしていま私が手にも持っているこの清廉な白い花には、 心動かされる挿話がありました。

 1980年代、あなたはさまざまな場所で宮沢賢治の話をしていました。 そうした講座の参加者の幾人かがあるとき花巻の里を訪ね、 賢治ゆかりの「種山が原」に咲くコブシの白い花に感動し、 親しくなった宮沢賢治記念館の方から、 コブシの苗木を一本送っていただいたのです。 1992年、さまざまな探究者・生活者の方々と共に あなたが行っていた研究会の会場だった八王子セミナーハウスの丘に、 その苗木がメンバーの手で移植されました。

 樹はすくすくと成長して大木になりましたが、 18年経っても花の咲く気配はなく、 毎年集いにやって来る仲間たちは気になりながら見守っていました。

 ところが2011年3月11日の東北震災の数日後、 セミナーハウスの館員の方から「マグノリアが咲きました!」 と突然の知らせが来たのです。 「この知らせは19年前若木を植えた仲間の間を、 電流のように駆け抜けた」 *1 とあなたは回想しています。

 遠く離れた生誕の地で同胞たちが味わった、 地震と放射能による生態学的な危機。それが、 一本だけ東京に移植されたマグノリアを突然開花させる信号となったのでしょうか?

 あなたは、目が不自由になって外出できなくなったあとも、毎年、 「あのマグノリアの花が咲いた」と仲間からの知らせが届くと声を弾ませて 「それはいいですね。よかったね」と応えられていました。

 あなたは書いていました。 「神秘主義者となることもなく、合理主義者となることもなく、 ただ植物の生の事実に感光しながら、知らせを受ける」 *2 ことができる人、と。 そのような人こそ「個我」が花開くということがどういうことであるか、 それが実は「個」や「我」を超える万象世界との美しい「呼応」 によって生まれるものであることを、直感的に理解することができるのでしょう。 マグノリアの尊い教えです。

 『宮沢賢治──存在の祭りの中へ』の最後の部分で、 あなたも深く感応している賢治の短い物語「マグノリアの木」。 それは峯と谷が連続する峻険な道を歩くことで自我という閉域を超え出て、 そこで発見される相互浸透的な「私の風景」にして「あなたの風景」 をめぐる物語でした。見通しのきかない霧の山中で、 主人公の諒安(りょうあん) はふとどこからか歌声を聞きます。 諒安が急いでふり向くと、 そこにちょうど諒安と同じようななりをした人がまっすぐに立って笑っていました。

「あなたですか、さっきから霧の中やらでお歌ひになった方は。」 「えゝ、私です。又あなたです。 なぜなら私といふものも又あなたが感じてゐるのですから。」*3

 「私」と「あなた」が相互浸透してゆく、自他融合の世界。 マグノリアの咲く霧の山道がそのような世界の存在を知らせ、 そのときのマグノリアの木はもうたんにマグノリアではないのです。

 私は賢治の短篇「なめとこ山の熊」を、 ずっと読みつづけてきました。 そこに、熊の親子の会話が人間の言葉に聞こえてくる陶酔的な場面があります。 子グマが、谷の手前の斜面に点々と美しく輝く白いものを見つけ、 母グマに訊ねます。

「どうしても雪だよ、 おっかさん谷のこっち側だけ白くなってゐるんだもの。 どうしても雪だよ。おっかさん」(……) 「雪でないよ、(……) おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです。」 (……) 「おかあさまはわかったよ、あれはねえ、ひきざくらの花。」 (宮沢賢治「なめとこ山の熊」)*4

 言葉は、名づけられ、定義されてゆくたびに、 ある「痛み」を分泌しながら厳密化されていきます。 けれど、モノの名が固定化されない、 ミメティックな物質言語の世界では、 すべては連続し繋がり合って存在しています。

 白いもの、マグノリア、コブシ、ヒキザクラ、ヤマアララギ、 そしてアイヌの人々の言葉ではオマウクㇱニ (「そこを・いい香りが・通っている・木」)。

 名前が無数に存在することこそ、 いまだ分節言語として固定化される前の、模倣的言語世界の悦ばしい特徴です。

 マグノリアに属するコブシもハクモクレンもタイザンボクもホオの木も、 いずれも強い芳香をもった白い花をつける樹木です。 そこを・いい香りが・通っている・木。この定義だけで、 もっとも精確に、精密に、世界を表象できるような言葉のあり方。 それを、賢治さんもあなたも夢見ていたのではなかったでしょうか。

 私はそのユートピックな言語を「マグノリアの言語」と呼びんで称えましょう。 今日、あなたと共に心の響き合を分かち合った人々の手がつないだ、 このマグノリアの枝を宙に差し上げながら……。

来訪的知(青い幻燈 II)

 「来訪的知」ということばがふと閃きました。

あるがままのあなたであるままで 出会われる出会いだけにまっすぐに向かえ。 失われた鳥に執着することで あなたのまわりに歌っている鳥たちを失うな。 (真木悠介「野帖から 四 〈自分を変える〉ということについて」) *5

 あなたは場所やものや人とのあいだの思いがけない「呼応」、 それらとの不意の邂逅を信じつづけました。 それは、自ら求めた恣意的な出会いではなく、 偶発的な「出会われる出会い」であるからこそ大切なのでした。 「出会われる出会い」。 あなたの使うこの不思議な「受動態」を私は深く受けとめます。 この「出会われる」とは、あるがままに存在することによって、 むこうからいわば「来訪的」に生じる出会いのことにほかならない、と。

 この示唆的な「受動態」は、 あなたの独特の文法として無数のヴァージョンをもっていました。 「表現」とは「あらわす」ことではなく「あらわれる」ことである。 「あらわれる」という顕現の美しさに拠りさえすれば、 表現は生を裏切らなくなります。

 自分から「創る」のではなく、 なにものかによって自分は「創られる」のである。 「創られる」というこの自己内創造の他律性を信じさえすれば、 自我という頚木(くびき)から人間はやわらかく解放されます。 これがあなたの信ずる「来訪的知」の姿です。 あなたはあるとき私の前でこう語ってくれました。

[真木悠介の声が流れる] ……バタイユの芸術論で非常に共感したところがあるんですが、 「創造する」、「創る」ということが近代芸術の中心になっているんだけれども、 「創る」という経験ではなくて、 ほんとうに大事なのは自分が「創られる」という経験なのだ、と。 それにぼくは非常に共感するんだけれども、ほんとうの芸術ってものは、 創られながら創る芸術なんだ、と…… *6

 「創られながら創ること」。 「創る」という言葉を、そのまま受動態・他律態としてとらえる、 それは不思議な思想です。 それは、つくるという行為を自我の 独擅(どくせん)から解き放ち、 創ることが本来的にもつ共同性を照らし出します。創作というものが、 「来訪的知」による恩寵であることを、 あなたは信じていたように私には思われるのです。

 宮沢賢治の「竜と詩人」はあなたのお気に入りの一篇でした。

 幾千年の昔、風と雲を独り占めにして暴れ、 人々に不幸をもたらした罪によって、 洞窟のなかに幽閉された竜チャーナタ。 そこに一人の青年スールダッタが許しを請いにやって来ます。 彼は詩の才を競う場で優れた詩を読み、大詩人アルタを感動せしめ、 その称号をアルタから譲り受けて栄誉の絶頂に立っていたのでした。

 けれどスールダッタの詠んだ詩は、 じつは竜の洞窟で聞いた言葉に着想を得て、 そのまま詩にしたもので、 彼は竜の言葉を盗み取って 自分の手柄にしたという良心の呵責にさいなまれていたのです。 スールダッタが告白し謝罪すると、竜のチャーナタは言いました。

 スールダッタよ、 あのうたこそはわたしのうたでひとしくおまへのうたである。*7

 ここでもやはり、創造という行為の共同性・相互呼応性が示唆されています。 わたしであり、またあなたである世界が。 そこでは誰もが、言説を私有し、 発言者としての権威に立って声高に語ることはしません。

 「来訪的知」は、語るより、よく聞こうとします。 聞こえてくる音に自分の五官を浸透させることができるように、 いつも体内のどこかに聞くための受容体を忍ばせ、 待機させておくのです。 聞くことが語ることとそのままで融合するような、 つつましく、秘儀的な世界です。 あなたが深いかかわりを持たれた水俣の作家、石牟礼道子さん。 家事も、そのような来訪的なものに感応する耳を持っていました。 あなたは私との対話で、石牟礼さんをめぐってこんなことを語ってくれました。

[ふたたび真木悠介の声が流れる] ……石牟礼さんというのは、聞く人だったと思うんですね。 いろんな声が聞こえる人だったと思うんです。 石牟礼さんの文学の本質は「聞く文学」ではないか、と。 たとえば、お母さんの声がまったく石牟礼さんに乗り移って、 お母さんの声で語っている、と。 その声がまた、石牟礼さんの声でもある、と。そんな感じのね。 そしてさらに人間以外の、魚たちとか鳥たちとか、あるいは海の声とか、 そうしたいろんなものの声が彼女には聞こえる。 彼女の文学っていうのはそのように成り立っているという感じがして…… *8

 たしかに石牟礼文学には、動植物のあげる声、 そしてとりわけ祖母の、母の、そして彼女自身の声が、 つねに融合しながら流れ込んでいます。 語りだけでなく、存在の風景としても、 この三者はどこかでつねに相互に交換可能な、浸透可能な、 時間を行き来するエーテル体のような存在です。

 石牟礼さんのある鮮烈な夢。 そこでは、幼い少女の頃おぶって散歩に連れて行った、 精神を病んでいた祖母が、背中でこうつぶやきます。 「うん、稲のなあ、よか香りじゃあ……」。 この声に振り返ってみると、祖母は裸の赤ん坊になっていた、というのです。

 裸の背中だから寒かろうと思い、 モスリンの花模様の帯の皺をのばしにかかった。 背中ぜんぶは包めないので掌でぬくめ、 お腹の方へ返してぬくめようと抱き直したら、 わたしを見上げたその顔は、死ぬ四、五日前の母だった。 (石牟礼道子「死んだ(はは)たちが唄う歌」) *9

 人々はいつも、どこかで、 人間の時間を超えた「永遠」というものを唄っているのです。 そしてその永遠には、誰もが同時に連なることができるはず。 「妣」という集合的記憶の系譜に連なる者であればとくに。 そうでなくとも、自我という固い外壁に空いている、 未知の風穴に気づきさえすれば。人間の生と死の織物が、 インディオの網篭(あみかご)細工のように、 かならずどこかで風を通すための「編み残し」をそっと仕組んである、 と信じさえすれば。

 そのようなヴィジョンを信じようとする「来訪的知」とは、 別の言葉で言えば、 一種の「自由間接話法」のようなものでもあるかもしれません。

 I do not intend to speak about, just speak nearby. *10

 なにか「について」語るのではなく、なにかの「傍ら」で語ること。 傍らで聞き耳をたてる、その謙虚な作法によって語ること。 ヴェトナム出身の映像作家トリン・ミンハは、 相手を対象化したり分析したりしない、 自己と風景の響き合いをあるがままに受容する映像作法を、 このひとことで印象的に語りました。

“speak neaby”

 それは所有しない言語。名指ししない言語。 分析もせず、説得もしない間接的な言語、遠回しの言語、遠回りの言語。

 けれどそれは、遠くにいても近くから離れない言語。 口ごもったとしてもそれは会話の遮断ではなく、 対話をあたらな移行へと導くための促しの言語。 私たちをめぐる繊細な世界を映し出す明晰性を持ちつつ、 その写しだす行為そのものにもあらたな生命が宿るような言語。

 「自由間接話法」とは、誰かが言ったことばを別の文脈、 別の声の領域へと解放する作法です。 それは往々にして、主語をもたない名詞句として書かれ、 それによって語る主体を厳格に確定したり、 語られる対象を差別化することから逃れて、 ある種のあいまいな霧の言葉となって、私たちと他者とを、 私たちと世界とを柔らかく包み込むのです。

 大地の上には──花と歌 *11

 こんなふうにあなたは、 しばしばインディアンやインディオの詩を、 自由に翻訳して自分の原稿のなかにそっと紛れ込ませました。 これこそ、あなたのテクストの編み残し、 魂が出入りする秘密の穴でした。 世界中に別れて住む知られざる同志たちがそれぞれに掘り進む、 個別の井戸が、普遍の水脈から同じ水を汲み上げるための秘密の通路でした。

 私もいつも、詩というこの秘密の編み残しの穴、秘密の井戸を、 自分の言葉に、自由間接話法のようにして、忍び込ませてきました。 今日の語りも、そんな話法の試みです。

 詩の可能性とは、「わたし」から脱し、 他者のなかに身をゆだねたときだけ実現される、 と言ったのはメキシコの詩人オクタビオ・パスでした。

 詩という決定的な飛躍がもたらす深淵のなかで、 人はこれとあれのあいだに宙づりになる。 これとあれ、過去と未来、 生と死のあいだで宙づりとなって奮える人間こそ十全な存在なのです。

詩の声、〈他の声〉はわたしの声である。人間の存在はすでに、 彼がなりたいと願うその他者を含んでいる。 (オクタビオ・パス『弓と竪琴』) *12

えそてりか(青い幻燈 III)

 えそてりか。生成途上のあなたの、未来ではなく「いま」に結ばれるべき夢。 啓蒙の光の彼方に、 その強烈な光によって(めし) いる危険を冒しながら、 再生のユートピアを来訪させようとした 秘教的(エソテリック)なヴィジョン。

 私が体験した三つのエソテリカ、 三つの奇蹟のような来訪的エピソードを最後に語りたく思います。 それはどれも、向こうからやって来るものをあるがままに受けとめたときの、 輝くような心の震えとして深く私に刻まれ、 私の「いま」に力を与えつづけています。

 半世紀近く前のあるとき、 私は賢治さんも歩いた北上山地のなだらかな花崗岩の峰々を彷徨い歩いていました。 霊峰早池峰(はやちね) の山頂から峠を越えて谷沿いに南下し、 遠野の里へと抜けようとしたのです。 そんな日の午後、 峠からずっと下って行くはるか彼方の地平線に逆光の遠野盆地が陽炎のように浮かび、 そこにきらりと光る鳥居が見えました。 遠野の早池峰神社の鳥居であると確信し、私はぐんぐん下っていきました。 鳥居はどんどん近づいてきて、周囲の森の色も濃い緑になってきました。 ところが、神社に着いたと思った瞬間、 私の前にはなんの変哲もないただのブランコが風に揺れているだけでした。 神社の境内だと持った場所は、森に囲まれた空き地で、 そこに古ぼけたブランコがぽつんと寂しそうに立っているのでした。 私は何を見誤ったのでしょう? 鳥居からブランコへの変身。 それは、私を逆に昂揚させました。 私がほんとうに出会いたかったのは、この風景なのだ、 となぜか腑に落ちるものがあったのです。 それから先、どこにいても、私の目はいつも、 恣意的に見ようとしたら決して見ることのかなわない、 不意に現われるこの、 あっけらかんと風に揺れるブランコを待ちこがれるようになったのです。

 メキシコの、アメリカとの国境にある町ピエドラス・ネグラス。 「黒い石」という、先住民の宝物でもあった黒曜石を示す素敵な名前の町で、 私は、食堂や市場、教会や商店が建ち並ぶ下町の雑踏を歩いていました。 すると、とある埃っぽいショーウィンドウの前に、異様な人だかりがあったのです。 そこは家具屋さんで、 ガラス越しに中をじっと見つめる人々はみな陶然とした面持ちをし、 心ここにあらずといった風情に見えました。 聞いてみると、なんと、つい先程、この家具屋に展示してあった姿見の表面に、 褐色の聖母グアダルーペの姿が鮮明に浮かび上がった、というのです。 征服以後から五○○年にわたってメキシコのあちこちで続いてきた、 この聖母顕現の奇蹟に人々は陶酔しているようでした。 その鏡は、すでに教会に運び去られたあとで、 私はこの奇蹟の徴をモノとして見ることはできませんでした。 教会までの道は、もう無数の人々によって埋め尽くされ、 容易に近づくことができなかったからです。 ですが、私はその鏡そのものを見ることより、むしろ、 この群衆が一様に示す深い集団的な陶酔の表情をこそ、 はるかにおどろくべき奇蹟だと感じたのです。 あるいは、この陶酔は、 私がそこにいたからこそ生じた出来事でもあったのではないか、とすら。

 「魔術は魔術師がつくるのではない。 魔術をあらかじめ帯電した世界があるとき、 それがたとえばなんでもない異邦人のような材料のまわりに凝集して、 魔術師を結晶させるのだ」。 あなたの『気流の鳴る音』のこの一節を、 このときほど深く実感したことはありません。

 もう一つのエソテリカ。 石牟礼道子さんが亡くなってから一○○日ほどが経ったある早暁のことです。 私は鮮烈な夢を見ていました。 おそらく水俣にある、行ったこともない、石牟礼さんの旧宅を訪ねているのです。 黒瓦のうつくしい門をくぐると住居らしき家があるのですが、 雨戸が閉まっていて中に入ることはできません。 建物の裏にまわると、そこに大きな中庭が広がり、墓らしき石と香炉があります。 数人の訪問者が蒸気のように揺らぎながら墓に祈りを捧げています。 私も墓の前で手を合わせ、 ふと見ると、墓石の前に小さな文机があり、 その上に一通の封書が置かれてあるのです。 表に少し乱れた調子の筆文字で「今」という字が見え、 気になって中の私信らしき一枚の紙をとり出して読んでみます。 文面は非常に断片的で、結構も乱れています。 でもそれは私への手紙、 きっと亡くなる直前に(したた) められた最期の手紙であるように感じられるのです。 死の前にたくさんの知人・友人たちに言葉を残そうとした石牟礼さんの、 この世のものとも思われぬことばの連なりに私は心打たれます。 すでに手紙を宛てられた人々はみんなここで手紙を受けとったのでしょう。 私への手紙だけが、誰にも持ち帰られることなく、 文机の上にぽつんと置かれて私の訪問を待っていたのだ、 と考えた私は、深い瞑想のなかに落ち込んでいきました。 がその瞬間、飼い猫の鳴き声におどろいて目が覚めたのです。

 無数にある日常のエソテリカのなかの、三つのエソテリカ。 見ることの神秘、語ることの神秘を告げる、 どれも夢のような、いやまさに夢として来訪した、 即時充足的(コンサマトリー)な風景。 いまと永遠との驚くべき抱擁。

 「真木悠介はここ(丶丶)にいない……」

 誰が語ったのか不明の言葉。 ある日、私に降りてきた、としかいいようのない、来訪的な謎。 つかんだと思っても、手を離れ、どこかに飛び去ってゆく、柔らかく敏捷な獣。 不定形の靄、あるいは流れ去る霧。 霧のなかに見え隠れする希望のコミューン。

 「真木悠介」とは、私もまた、彼と同じように生成途上のもの、 創造の途上にあるものだと信じさせてくれる名前です。 つくられてゆく過程にあるものを呼ぶ言葉です。 いまつくられてゆくヴィジョンを共にする合言葉です。 賢治さんのように、永遠の未完と瞬間の未知とに捧げられた、エソテリカの知です。

 「いま」の豊かな充足にむけて、 「いま」に内包されたユートピアの可能性を信じ、 私たちのこの生活を、実践と理念の両方において、 いかに不幸から幸福へと反転させることができるのか。 その探究の道しるべ。私たちが謎として、 編み残しの穴として、追い求めてゆくもの。

 あなたは「ここにいない」、その真実が、語ることの不可能、 知ることの痛みを超えて、私たちの探究に力を与えます。あなたは書きました。

樹でも馬でも宇宙でもいい。 人のあらゆる行動や思考や存在のはじまりともなり、 おわりともなることのできる出来事、 樹との、馬との、人との、宇宙との、あの出来事は語ってはいけないものだ。 (「えそてりか I」) *13

 言葉にすることは殺すこと。 だから、言葉にするとは世界の喪失をひきうける行為ともなる。 その覚悟を持って語ること。そして同時に、名づけつくさないこと。 語りつくさないこと。 美しくも、醜くもありうる世界を、世界として守り、存続させるために。

 世界の喪失の臨界に触れる、この極限の痛みを引き受けながら、 私がどうしても言葉にしたかった、 あなたの愛したインドの、馬たちのいる風景。 それを、いまあなたにそっと手渡そうと思います。 ここにはいない未知の、 未生(みしょう)のあなたへと届ける、 永劫世界からの「ことづて」として……。

【渡辺眸さんの写真展《旅の扉 猿・天竺》(2016) から選ばれた一枚がスクリーンに映し出される。 半世紀前のインドの、曙光を浴びる馬たち。その映像に、 坂本龍一のアルバム《Out of Noise》からの一曲 “StillLife” が重なり、 著者の詩「見える──ゴアの馬たちへ」の朗読がゆっくりとはじまる】

渡辺眸「旅の扉 猿・天竺」より
渡辺眸「旅の扉 猿・天竺」より ©Hitomi Watanabe

見える ──ゴアの馬たちへ

見える 二頭の黒い馬のあいだの 一頭の白い馬 草を食むそのときの 反芻の音色 椰子樹のはざまから斜めに差す 生まれたばかりの太陽 輝ける光の粒子 夢とともに漂う不可視の朝霧 悲嘆の夜を刺し貫くもの 白と黒の縞模様のショールをわたしは纏う 永遠の影のもと おごそかに踏み固められた 大地が見える 均等に分けられないものたち みだりに呼びあわないものたち 無関心において誠実なものたち こころを光の糸で結びあうものたち 足りないものすべてが 見える 見えねばならないもの以外 なにも見えない life is but a dream, dream is, but, a life エソテリカ この瞬間にひらめく永遠の 秘められた名前 【音楽Fade Out………】 *14

*1 『定本 見田宗介著作集 IX:宮沢賢治──存在の祭りの中へ──』岩波書店、2012、301頁。 *2 同前。 *3 「マグノリアの木」『宮沢賢治全集 6』ちくま文庫、1986、140頁。 *4 「なめとこ山の熊」『宮沢賢治全集 7』ちくま文庫、1985、61-62頁。 *5 真木悠介「野帖から 四 〈自分を変える〉ということについて。」『うつくしい道をしずかに歩く』河出書房新社、2023、44-45頁) *6 2019年10月9日、八王子の京王プラザホテルの一室で行われた真木悠介と今福龍太による対話の場での真木の発言の録音テープより。対話は編集されて『新潮』2020年1月号に「宮沢賢治の気流に吹かれて」として掲載された。 *7 「竜と詩人」『宮沢賢治全集 8』ちくま文庫、1986、359頁。 *8 註6 に同じ。 *9 石牟礼道子「死んだ(はは)たちが唄う歌」『妣たちの国』講談社文芸文庫、2004、207頁。 *10 Trinh T. Minh-ha の映画《Reassemblage》 (1982) の冒頭で語られるナレーション。「私は何かについて(丶丶丶丶)語ろうとは思わない、ただその傍らで(丶丶丶)語るだけ」。 *11 真木悠介『時間の比較社会学』。引用は『定本 真木悠介著作集 II:時間の比較社会学』(岩波書店、2012、43頁)より。 *12 オクタビオ・パス『弓と竪琴』牛島信明訳、ちくま学芸文庫、2001、285頁。 *13 「えそてりか I」『定本 真木悠介著作集 IV:南端まで──旅のノートから』岩波書店、2013、215-216頁) *14 本発表は、2023年4月8日の東京で、映像と音を傍らにおいたストーリーテリングとして行われた。ここでは、この原稿が本来的に声をつうじて届けられた一回限りの出来事であるという事実を可能なかぎり再現できるよう努めた。私の発表時、壇上には真木悠介さんが続けられてきた「樹の塾」の有志の方々によって、岩手県の早池峰山麓などから届けられたマグノリア(辛夷)の枝についた花々がかぐわしい芳香を会場全体に放ち、聖者と死者のコミューンを行き来するように匂い立っていた。